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【私の終の棲家づくり(北九州)】Vol.1:迷いの中にいた私と選んだ新しい道

Will・Can・Mustの3つの輪を指し示しているジェミニ
tomomo

嫌いだった町と忘れ去られた家

かつて、私が最も避けたかった場所。そこは、叔母の形見が眠る場所でもありました。

独り身だった叔母は、生涯独身でした。仏様を守り、お茶やお花の先生を務め、字も素晴らしく上手かった。親戚からもいつも頼りにされ、朗らかで時にジョークを交えて話す、社交的でオシャレな人でした。

私は短大生活の2年間を叔母と、この家で暮らしました。そのこともあってか、叔母にとっての私は特別な存在で、叔母は私や息子のことを本当の娘や孫のように可愛がってくれました。

でも、正直に言えば、私はこの町がずっと嫌いだった。 単身転居してきた当時は、人にも土地にも馴染めず、近所の干渉的な視線にいつも見張られているような息苦しさを感じていました。だから、叔母が亡くなった後も、ここで暮らすなんてことを、これっぽっちも思わなかったのです。

相続人は全部で6人。すべて甥っ子、姪っ子でした。疎遠だった親戚たち。何年も放置され続けた家に、誰も手を挙げる人はいませんでした。

いつかのために始めたこと

50歳を過ぎたころから、私は自分の「終末」を意識するようになりました。

仕事で関東へ移り、年老いた母を引き取りました。慣れない土地でも、10年も暮らせば次第に馴染んでいくものです。けれども日々の暮らしを守るために働き続ける毎日を送っていました。ふと「もし母に何かあったら、私は思うように動けるのだろうか?」と疑問が浮かぶようにもなりました。それは未来の私自身にも警告を鳴らしているかのようでした。

普通でいるのは簡単なこと。何かを変えるためには大きなエネルギーと、これまで積んできたものを捨てなければなりません。そんな風に考えると、なかなか最初の1歩が踏み出せないでいたのです。

ただ、遠くても近い未来のために出来ることとして2つのことを実行に移しました。
1つは履歴書に書ける資格を取得すること。もう1つは、叔母の家の荷物を整理することでした。

私は、その1つ。履歴書に書ける資格として「メンタルヘルスマネジメント」を選びました。

キャリアコンサルタントという職業に出会って

出口のないトンネルと居場所を探して

55歳のとき、私は長く勤めた会社を逃げるように退職しました。適応障害という診断書が、私の限界を突きつけていました。それからの毎日は、なんとか元の自分に戻ろうと藻掻く日々。
元の自分というのは、最低限同じくらいの収入があり、自分が自信をもってできることを職にするということ。
けれど50代からの転職は、想像以上の厳しさがありました。何社受けても書類すら通らない。自分はどこからも必要とされていないのだと落ち込む毎日が続きました。

毎朝、決まった時間に起きて、決まった場所で仕事をする。これがどれだけ幸せなことなのかを身に染みて感じました。
図書館は月曜日が休み。120円のコーヒーを頼んでも、ファストフードに長時間居座るわけにもいきません。あの頃の私には、どこに居ても、私を受け入れてくれる居場所がないように感じていました。

職業訓練校という名の「転機」

そこで職業訓練校に通うというのはどうだろうかと閃いたんです。

職業訓練校というのはハローワークでチラシを目にしたことがある程度。
ですが特に新しいことを学びたいと思っていたわけではない私には無縁だと思っていました。

ただ正直、キャリアは積んできたけれど、何が出来るというわけでもない。
事務職が希望というわけではないのだけど、どちらにしてもパソコンは必要だろうと思い、経理とパソコンの資格が取れるコースを選択しました。

私のパソコンの実力としては、ほぼほぼ独学で必要最低限。ただ文字入力のスピードだけは自信がありました(^-^;

職業訓練校には面接があります。私はそこで、こう訴えました。

「1人で頑張ってみましたが、何社受けても書類すら通らないんです」

自分を導いてくれた、ある言葉


私のキャリアを見て、面接官のお1人がこう言いました。

「研修講師をされてたんですか?」

私は辞めた会社で研修講師になるのが夢でした。自分の天職だと思っていたくらいでした。
その方は、こう続けました。

「あなたはここでの資格試験については1つに絞ったほうがいいですね。経理の仕事を考えていないのであれば、それは捨てましょう」

予想外の言葉に、私は言葉を失いました。
「えっ?(どういうことだろう)」

先生はこう続けてくださいました。

「ここにはたくさんのキャリアコンサルタントの資格を持ってる方がいます。あなたは、この講座を受けたあとは、きっとそちらに興味が湧いていると思いますよ」

職業訓練校合格後に知った後日談

後から聞いた話ですが、あの日の面接官は、LECでキャリアコンサルタントの講師も務める学校長でした。思いがけず出会ったこの資格。それが、私の新しい日々への期待を膨らませ、再び歩み出すための大きな道しるべとなったのです。

そして、これも後から知ったことですが、職業訓練校の面接では、いかに「この人には支援が必要だ」と面接官に思わせるかが合否の分かれ道になるのだとか。

面接の場では、どうしても「自分がいかにできるか」をアピールしがちです。 ですが今振り返ると、大手で10年以上のキャリアを積みながらも「一人で頑張ってきたけれど駄目だった」と正直に吐露した私の訴えは、面接官の心に切実に響いたのでしょう。

この経験こそが、私を「キャリアコンサルタントとして、今度は私が誰かの背中を押したい」という新たな目標へと導いてくれたのでした。

職業訓練校を経て手に入れたもの

孤独だった私が見つけた「新しい居場所」

職業訓練校での日々は、とても充実したものでした。そこには、性別や年齢を超えて、同じ志を持つ仲間がいたからです。
同じ空間で学び、日々刺激し合い、時には少し傷を舐め合っているような感覚になることもありました。何かしら誰しもが傷を持ってこの場にいるんだなと思いました。
そしてこの年齢になって、これまでにない新しいコミュニティに身を置いていることに、驚きと喜びを感じる毎日でした。

最初の1ヶ月は、自己理解や仕事理解、面接の受け方や履歴書の書き方など、就職活動に必要な基礎を学ぶ期間でした。講師からは最初に「あなたには必要ないでしょうが」と前置きをされたほどでしたが、迷いの中にいた私は、ここで心を少しずつ紐解くことができたのです。

そして、誰よりも早く就職を決め、職業訓練校は2カ月ほどで途中退校となりました。

このときに思ったのは、自分が何を大切にして、どんな風に生きていきたいのかを1つ1つ明確にすることで、人生の景色はこれほどまでに変わるのだということ。それは、自分自身を大切にするという、今まで後回しにしてきたことへの気づきでもありました。

Will・Can・Mustの重なりが導いた答え

職業訓練校の授業で学んだのは、単なる就職テクニックではありませんでした。 それまでの私は、キャリアの積み上げ、収入、あるいは時間……何に重きを置くべきか分からず、ただ手当たり次第に行動していたのだと、鏡を見るようにして理解しました。

「自分は何を大切にしたいのか(Will)」「今の自分には何ができるのか(Can)」「譲れない価値観(Must)」――。この3つの輪を丁寧に重ね合わせたとき、おのずと次に進むべき道が見えてきました。

私の中で、何より譲れないMustは「時間と場所に縛られず、自分らしく働くこと」でした。 これまで積み重ねてきた経験や、苦しんだからこそ分かった「働けない辛さ」というCan。そして、誰かの背中を押したいという私の純粋なWill。そのすべてを活かせる場所として選んだのが、派遣会社のキャリアアドバイザーという仕事でした。

収入面での変化はありましたが、それ以上に週4日・7時間勤務というスタイルや、在宅ワークを取り入れられる環境は、私にとって大きな希望となりました。自分で計画を立て、自律的に動ける仕事。何より、この場所ならキャリアコンサルタントとしての土台を築いていける――。

私は訓練校を卒業後、新たな一歩としてこの職に就き、資格取得への挑戦をスタートさせることになったのです。

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キャリアコンサルタント/AI共生ライフブロガー
キャリアコンサルタントとして活動する傍ら、50代から始めたAIと共生する一歩進んだライフスタイルを綴っています。
日々の気づきや地域の心地よい暮らし、AIとの楽しいやり取りを軽やかにお届けします。

(運営者:なかむら ともみ)
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