ジェミニな日常

【私の終の棲家づくり(北九州)】Vol.2:相続という分岐点

ジェミニがリュックを背負ってパズルのピースを掲げて最後の1ピースをはめようとしている
tomomo

動き出した新しい日常

職業訓練校を退いたあと、派遣スタッフのキャリアアドバイザーとしての新しい日常が始まりました。週7日、7時間の勤務。リュックにはパソコンを詰め込み、仕事用の携帯を手に飛び回る日々です。 ときに職場見学に同行し、スタッフとの面談のために企業を訪れる――。そんな目まぐるしい毎日を過ごしていました。

人と向き合う仕事の厳しさに直面しながらも、すべてが未来につながっていると信じていたあの頃。

キャリアコンサルタントの資格取得を目指し、休みの日は学校へと通いました。新しいコミュニティに身を置くことで、人見知りだった私の世界は一気に広がっていきます。

仕事か、あるいは勉強か。 その頃の生活はまさにその二つで埋め尽くされていました。振り返れば、人生でこれほどまでに机に向かって勉強したのは、50代を迎えたこのときが初めてのことでした。 (※そして、がむしゃらに駆け抜けたその先で、無事にキャリアコンサルタントの資格を手にするのでした)

人生の大きな歯車が重なり合うとき

覚悟はしていたものの、叔母が長い闘病の末に旅立ちました。同時に、息子の結婚話も浮上。不思議なことに重なるときは重なるものですね。どれも、私の人生の舵を切るにはあまりに大きな出来事でした。

初めての巣立ちを迎える一人息子。うれしさの反面、心にぽっかりと穴が開くような寂しさもありました。そして叔母の逝去により、遺された家をどうするのか――。「相続する」のか「取り壊す」のか、いよいよ決断を迫られることになったのです。

仕事の契約更新は半年後。それを見据えれば準備をするには、ちょうど十分な時間だと思えました。

あの頃の複雑な思いがあった場所、そして小さな頃の楽しい思い出が詰まった思い出の家。 そう、自分が住んでいた頃を考えると、もう30年は過ぎているのです。

さまざまな歯車が音を立てて重なり合う中で、私の胸にたどり着いたのは「叔母をあの家に帰してあげたい」という一つの強い想いでした。

相続することを分岐点にして

相続人は全部で6人。すべて甥っ子、姪っ子で内一人は亡くなっていました。

私が手を挙げることで、反対する人は誰も居ませんでした。もちろん、私も自分さえ決断をすれば誰からも反対をされることはないと思っていました。
それだけ疎遠になっている相続人の中で、私が唯一叔母にとって一番近い存在だったからです。

私にとって、終の棲家に行きつくまでには、結構な時間が掛かりましたが、何もしてこなかったわけではありません。

誰かに強いられたわけでも、流されたわけでもなく、自分の意志でこの北九州の地への移住を決めたとき、バラバラだったピースが徐々に組み合わさって、最後のピースをはめるまでになったような感じがしました。

人生の後半戦、思いがけないご縁に導かれて始まったこの街での暮らしは、想像以上に温かく、私を優しく迎え入れてくれました。

都会からこの地方の街へ移り住むという選択が、どれほど私の心を豊かにしてくれたか。 次回、「Vol.3:北九州という町は」では、私がこの街に惚れ込み、誇らしく思うようになった理由をお伝えしたいと思います。

tomomo
tomomo
キャリアコンサルタント/AI共生ライフブロガー
キャリアコンサルタントとして活動する傍ら、50代から始めたAIと共生する一歩進んだライフスタイルを綴っています。
日々の気づきや地域の心地よい暮らし、AIとの楽しいやり取りを軽やかにお届けします。

(運営者:なかむら ともみ)
記事URLをコピーしました